ETA HOLDINGS代表菊田のこれまでの道のり~Part1~

こんにちは、ETA事務局です。
今日は弊社の代表、菊田靖のこれまでの道のりを紹介します。

ETA Holdingsはマレーシアのラブアンにある幅広い事業を扱うコンサルティング会社です。
元々、代表である菊田は音楽関係の専門家であり、東京藝術大学音楽学部を卒業後、最初に入社したのはソニーミュージックエンタテインメント(当時のCBSソニーレコード)。

最初の配属先はソニークラシカル・レーベルでした。

 

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写真は1990年入社一年目に撮ったものです。

90年代の典型的なレコード会社のデスク風景です。
とにかくものであふれていました。
この当時は、まだオフィスにPCはありませんでした。

 

1992年の夏には初めての海外出張で、レコーディング・プロデューサーとしてドイツへ行き、ベルリンのフォルハーモニーザールでベルリンフィルのメンバーとレコーディングを行いました。

ベルリンの壁崩壊が1989年ですので、その3年後です。
旧東ベルリン市街地に行くと、まだ、トラバント旧東ドイツ国産車)が走っていました。

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 世界中に素晴らしいオーケストラは数多くありますが、ベルリンフィルはその最高峰。
音楽を勉強していた菊田にとって、ベルリンフィルサウンドをコンサートホールやCDで聴くのではなく、レコーディングを通してベルリンフィルのメンバー達と共に作品を作っていく感覚は忘れがたい経験になったようです。
この最初の海外出張の経験が、この後の彼の海外でのビジネスキャリア形成に大きく影響したに違いありません。



ソニークラシカル・レーベルの後に、人事異動により、東京第一営業所へ着任しました。


 

写真は1996年の正月、仕事始めの朝に営業所での一枚です。
当時のレコード会社にとって、大晦日レコード大賞紅白歌合戦後を経た、年明け最初の営業所周りは大切なイベントです。
レコード会社の営業所勤務の女性社員は、振袖を着て挨拶回りをしていました。
菊田の担当は石丸電気新星堂、山野楽器他、写真のチームで各店長、担当のスタッフに挨拶を行います。

今回は20代の頃のソニーミュージック時代を振り返って駆け足でご紹介しました。
この後、ソニーに出向、転籍しアメリカへ駐在。

その後、転職して全く違う分野に飛び込んだり、と様々な経験を経てETA Holdings設立へと向かうのですが、それはまた次の機会に。

 

 

ETA Holdings co., Ltd 事務局
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